無知が華

愚か者の綴

この人の歴史

17/02/16現在

この記事はだいぶ前(15/12/09)に書いたのもので、改めて読み返してみると、一見痛々しい表現(自分にしか理解できない比喩など)を駆使して自分の過去を振り返っている“だけ”のようでいてその実、自己卑下や自虐といった卑屈でネガティブな精神性を隠れ蓑に周囲を傷付けている側面も多分にあり、そういう意味ではすごく最低な記事だなと思う。ただ、かといってそういう部分を手直しして再投稿してしまうと当時の今以上の人間的未熟さ、稚拙な思考・表現が初めからなかったことになってしまう。自分としてはそれは避けたいかな、というのと、また自戒の意味も込めてこの記事は敢えてこのままの形で再投稿することとします。*前言撤回。棘はなるべく除去します。

 

 

*如何にしてこの欠陥ポンコツひねくれメンヘラ厨二病患者が生まれたのか。


・地味な県の田舎に生まれる。絵にかいたような『村人H』とか『村人X』とかのポジション。ありふれた核家族。一人っ子。今現在の齢23。童貞、ひきこもり、ニート、社会的にも人間的にも底辺を極めた存在、なのだろう。

0~4歳

・幼少期は極度の目立ちたがり屋で積極的で我が儘で自分勝手。傲慢でプライドが高く、そして自分の意思を言葉を通して伝えるのが苦手だったため、暴力で感情を表現していた。

7~8歳

・その悪行三昧が祟ったのかなんなのか、小学生2~3年のころ一日にして真逆の性格になってしまう。キッカケは些細なもので『自分は避けられているのでは....?』という単なる思い込み、要は被害妄想。
恐らく先天的であろう極度の自意識過剰が、この些細な出来事をキッカケに開花したのだと思う。
2年くらいのときに剣道を数週間、5~6年は少年野球をやっていた。運動は大好きだが、運動センスが絶望的だったのと向上心や競争心が皆無のタイプだったので常にベンチだった。
12~15歳

・小学校、中学校と“そこそこの自意識過剰に支配された日々”を過ごす。幸いにも友達は割といた方でそこは救いだった。ただ、友達となら普通に話せたのだが、スポットライトを浴びると極度の緊張から声が出せなくなるという。
勉強は小学2年の頃から付いていけなくなっていたため、放棄。点数は常に下位。中学最初のテストでは約230人中最後から2番目。中学3年間は常に200前後をうろついていた。
無論読書などは『ミリ』たりともせず、近所の友達と遊ぶ(田舎なので山を冒険したりスポーツしたり)&ゲーム三昧&部活(ソフトテニス)な日々だった。今思うとこのときが一番充実していたのかもしれない。
15~18歳

・高校では知る人がほぼいなかったため、一からのスタートとなった。そしてスタートダッシュに躓き、アメトーークの“中学のときイケてなかった芸人”ような立場に落ち着いた(友達は3年間一人もいなかった(ただ3年間ずっと、とある男子同級生にストーカーされていた)。
高校に入っても勉強はもちろん微塵もやっていない。いや、やっていないというよりは今まで通り、ノートは取るが思考はしていない。黒板に書かれた言語という記号をノートに書き写しているだけだった。

・僕が複数の恐怖症を発症するキッカケになったのがこの3年間。この3年間、××というあだ名で過ごしてきた過去があったから、今の相手のことを考えようとする自分がある(そういう意味ではこの経験がなかったらと思うと恐ろしくて恐ろしくたまらない)。

もっとも一言でいうなら単なる被害妄想。別に肉体的なイジメを受けたわけでもないし、彼らもイジメをしているという自覚は無かった。強いていうなら精神的なイジメにはあっていたのかもしれない。でも、客観的に見てもテレビとかネットで見るような、本当に壮絶なイジメに比べたら足のつま先程度のものだし、やっぱり異常なのは、僕の方だった。

 

僕はここに居ていいのだろうか?存在が迷惑なのではないだろうか?感情、そしてそれを表すための表情すらも出してはいけないのではないか。

 一つ ~感情・表情を殺して集団生活を生きる~
まず感情に関してですがもう殺しました。表情を出すのもやめました。笑う時は笑いたいから笑うのではなく笑った顔を作らなきゃいけないから笑う。そうしないと精神が傷付けられるから。それが嫌だから笑った表情を作りました。もはやピエロ。
でも基本スタンスとして、相手に自身の醜い顔を見せるのもダメだと思い下を向いていたので、その時々にあった感情・表情を伝えるという事はまずありませんでした。
一つ ~言葉は相手の感情を逆撫でないものを~
言葉も自分の言葉を言えた記憶がほぼありません。常に相手にとってこの言葉なら大丈夫、この言葉なら自分が傷付けられなくて済む。そう考えながら言葉を発していました。
尤も会話以前に自分の声を聞かせてはいけない、自分の存在を相手の視界に入れてはいけない、そう思うばかりに結果的に無視してしまい話す事なんてほぼなく。
一つ ~挙動はそれを演じて~
あとは....そう、僕ら5人衆(孤独なのが5人いた)は××って呼ばれてたのですが、そんな地獄の中をずっと生きてるともう感覚が麻痺してきまして。
どうしたら精神を少しでも傷付けられなくて済むんだろう?どうすれば少しでも楽になれるんだろう?と。
僕の答えはこうでした。
××を演じて生きていこう
こうすれば周りも〝ああ××だから仕方ねえよな〟となりますからね。
私なりに彼らの言う××像を考えてそれに準じた人間を演じて生きる事にしました。

18歳~
・卒業と同時に超クリーンな会社に就職するも、2日でクビになる。異常な行動を取ったとかそういうのではない(というかそんな行動は取らない)。ただ寝坊して延々言い訳してクビになっただけ。いや、2日働いてみて人との関わりが苦痛だったために、自らクビになるために目茶苦茶な言い訳をしたのだと思う。

当時、卒業と同時に独り暮らし(元々子供の頃から望んでいたのと恐怖症を自力で治す上で最適な環境だと判断したから)を始めたものの、クビになってしまったので自然とひきこもりに。
恐怖症故、月一でしか外出(食料調達)出来なかったため、餓死しかける。

・半年が経ち、精神的に限界が来たためにやむなく実家に戻る。のちになんとかアルバイトに受かり半年ほど働く。しかし、職場の方々と関わる中で恐怖症を克服するどころか、如何に数多の恐怖症に冒されているのかというのを自覚し改めて絶望する。

19歳~

・その年、東日本大震災があり、それをキッカケに元々高校卒業と同時に密かに抱いていた漫才師を目指すべく、大阪に行くため仕事を辞める(本当は人との関わりに対して精神が耐えられなかった)。
結局それから数ヶ月ほど再度ひきこもり、ようやく大阪にて独り暮らしを始めるに至った。2011年は下旬。同時、日々の記録を綴るようになる。

・大阪にいたのが約2年。基本ひきこもり。一番酷いときは心底死にたかった。死にたくて死にたくて仕方がなかった。でも、自分で死ぬのは無理だったから誰かがいきなり殺しに来てくれないかなぁと思いながら日々を生きていた。その頃の唯一の救いは自分の心を壊すことだった。心(思い出)を壊すことが救いであり、快楽。もし仮に殺人鬼がうちに来て殺してくれたら心の底からその人に感謝してた。断言できる。殺してくれて、この精神地獄から解放してくれて、ありがとう、と。

正直未だにあの感情を超える感情がない。そしてそういう経験をしたからなのか、もう生きることがどうでもいい。ある意味僕は一度死んだ人間。生きることに満足してしまった。だから死んでも後悔はない。それに『あぁ、やっと死ねる、生の苦痛から解放される』となる。もう死ぬまでこれは変わらないのだろう(肉体的な苦痛という弊害さえなければ即刻自死してる)。

この頃に当たり前の日常が究極の至福なのだな、という答えに辿り着く。
また、孤独が故にたま~に入ってくる迷惑メールが超嬉しかった。自分は一人じゃないんだな、と。

 21歳~

・2013年の7月頃に実家に戻される(仕事先が決まったタイミングでとうとう資金が尽き、親に強制帰還させられる)。
・強制帰還させられる数週間前、再々々度延長コースを申請すべく大阪から実家(九州)に戻ろうにも資金が無かったため、ママチャリで戻ることにするも運悪く台風直撃シーズンだったため、なんとか広島駅までは行き着くもとうとう気力に限界が来てしまい、結局広島駅から新幹線で大阪(まさかの実家ではない)に戻ることとなる(もうなんか全てがどうでもよくなった)。

丁度1000円マックが販売されていたので自分への褒美として購入することにした。店の外で1000円マックチケット渡しをしているバイトさんにはなぜだか無視されたので自分から(一枚頂いてもよろしいですか?ニコッ♪)と要求した。その後、店員さんから1000円マックを受け取る際、何故か挙動不審が見えた。僕が何をしたというのだ?(妙な見た目も喋り方もしていない“つもり”だし、ごく普通のはずである。それか考えすぎかな。)

余談としてこの日から遡ること数日前、岡山県倉敷市内で野宿をしたものの凍てつく寒さに限界を感じ、宿を探したところようやく見つかったのだが、そこはラブホテル(人生初)だった。1番安い部屋と2番目に安い部屋がすでに取られていて3番目に安いのを取った(4~5000円した)。
そこでラーメンを注文した。数分後、50代くらいのおばさんがラーメンを届けに来てくれた。手持ちは腐りかけのりんご3つだったため、冷えきった身体にラーメンは最高だった、はずだった。
ラーメン自体はまぁ、100円クオリティーだった。が、メンマに関しては『あれ?これドブ川に一週間くらい漬けてたんですか?』というような味だった。僕はラブホテルが大嫌いになった。
・実家に戻ってからというもの、相も変わらずひきこもっていたものの、丁度MH4(念願のオンライン対応)が発売されるというので購入し、オンラインプレイを通しての他者様との関わりを期待。

22歳(2014)~

幸いにもそのオンライン上にて自分と同じくゲーム実況を開始しようとしている方と知り合い、そしてその方がブログをしているのを知り、「はっ!人と関わるのに打ってつけなブログというツールがこの世にはあったのだ!」とカルチャーショックを受け、直後に早速ブログを開始したのが2014年2月22日22:22分22歳のとき。livedoor blogだった。

・それから約9ヶ月間、ひきこもりという事実をひた隠し?にし、ゲームブログ(モンスターハンター&マインクラフト)を更新するも、とうとう限界が来た(承認欲求のタガがぶっ飛んだ)ため、そっちに特化した初代メンヘラブログを別個に作成、開始。

 

 

〈ここからは過去のエントリーを読み返し〉
2014年11月27日。

・過去の記憶の記録を見返すと、当時は記憶が思い出せない状態だったらしい。また、万物に対する意欲・興味・感心・集中力が失せていた。無気力。感情が湧かない、と。
曰く、この日から1年と数ヶ月前の大阪独り暮らし精神地獄編は生き地獄ではあったが、〝生きていた〟らしく、これを書いたそのときは死んでいたらしい。

・また、被害妄想全開故、実家に戻ってしばらくは常に監視カメラで監視されている、ご飯に毒的な物を盛られている等々の猜疑心に陥っていたらしい。

・高校の頃に仕打ちを与えてくれた彼らのことはこの頃に本当の意味で許せるようになったらしい。それどころか感謝の意すら述べている。今の相手を受け入れれる自分があるのは紛れもなく彼らのお陰だ、と。彼らのお陰で『相手を思いやる気持ち』が生まれた、と。受容の心が広がっているようだ。

・2014年12月16日

僕は存在が底辺であるひきこもりニート遊ぶ等の感情など抱くなど言語道断、楽しいという感情を抱いていけない存在なのだ、という思考をもって生きてきました。(中略)その先にあるのは更なるひきこもりの悪化であり破滅。いくら頑張っても、いくら我慢してもその先に未来はなかった。そしてようやく気付けた。楽しいという感情を抱いてもいいのだ、と。

楽しいという感情を抱いてもいいのだ、というのは理解したものの今度は、楽しいという感情の抱き方がよく分からないらしい。馬鹿もここまでくると清々しいものである。 

・ 2015年1月23日

この日、たまたまクソログというブログを知る。今現在に至るまで相当の影響を受けている。良かれ悪かれ。いや良かれ。

・2015年1月30日

人生初の動画投稿をする。内容はTHE・悲惨。

23歳~

 ・2015年2月10日

なんかいろいろ吹っ切れる。同時、それまでの羽生晴樹的win-win思考を卒業した。
・2015年4月12日

他者との関わりを得た途端、孤独を希求する。7年間ずっと、人との関わりを得るためだけに生きてきたといっても過言ではないのに、いざそれを得たら、孤独に助けを求める。変態。

 

『精神地獄への再希求。どうやら僕は異端の内罰嗜好者らしい』

 

いまから3年前の独り暮らし時における、精神地獄(心の瓦解)を強く希求している僕がいる。
いや、厳密にはその極限の状況下から得られる知識・経験というべきか。そこからのみ得られる特殊な知識・経験を欲するがために、僕は自ら当時と同じ状況の精神地獄を望んでいる。
ちなみにこの状況は意図的に作りだすことは可能だ。というか、今後生きていく上でまた、必ず、通らなければならない道である。
言わずもがな、ずっとこのまま親の脛を齧り続ける生活なんて嫌。それにずっと昔(幼少時)から独立を望んでいる。

  いや、違う。 
たぶん怖いんだろうね。あの頃の極限の異常感覚が記憶から消え去るのが。現に2012年の頃の精神状態の記憶がすっぽ抜けてるし。
当時と同じ状況の精神地獄を求めてるんじゃなくて、当時の記憶が時間が経つにつれて嫌でも失われていくのが心の底から怖いから、忘れないためにも、当時と同じ状況の精神地獄を求めてる。
そう、忘れるのが怖いんだ。だから求める。例えそれが精神の生き地獄であり、心が砕け散り、極限の最果てにいけば自殺の選択をするまでに追い込まれる(精神地獄を生きるよりも死ぬ方が圧倒的に楽だし、なにより救われるから。)というのが分かっていても。
ずっと怖かった。当時の異常な精神状態の記憶が徐々に徐々に薄れていくのが。こっちに戻ってから無になった。思考が死んだ。呼吸をし、栄養を摂取し、排泄をする、ただの生きた屍。もう一年半も経った。
TOX(テイルズオブエクシリア)の主人公が「本当に怖いのは死ではなく,使命を果たそうとする志が潰えること。」なんてことを言っていた。僕の場合、使命ではないが生きる価値を見いだせず、無思考に浸ることが精神地獄以上に怖いことなのだというのを知った。それまでは当時の精神地獄以上の苦しみや悲しみなんてありはしない、そう思っていた。でもそれは違った。
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結局どれだけ記憶や経験を留めようと思っても脳はそこまで要領がよくない。そこから離れれば必ず忘れていく。だから東日本大震災や、それこそ戦争の記憶も圧倒的な速さで風化する。
だからそこにいたい。いなきゃならない。記憶が、経験が、失われるのが怖いから。ここまで来ると最早ドラッグのようなものなのだろう。なければ耐えられない。そこにある、心がぶち壊される度に全身を駆け巡る悲痛の快感が欲しい。幼女にとってのぬいぐるみ。赤ん坊にとってのおしゃぶり。
戻りたくない。嫌だけど、でも、戻りたい。
こころが壊れることによって生じる生の実感。満たされる知識欲。極限の生き方からくる日常の当たり前のことに対する心の底からの感謝。
あぁ、またあの精神地獄時の快感を得たい。早く独り暮らしをしたい。例え、その結末にあるのが自殺という選択だったとしても。

・2015年5月7日

iPod touchが逝く。それまで綴り続けてきた思考の記録(約2年分。それも精神地獄時の生々しい記録)が一瞬にして無に帰した。

 2015年6月10日

僕は少し前まで感情を殺して生きてきた。心が軋みを上げ、どんどんどんどんと壊れていく。つい最近までは、無思考・無感情(無気力)に限りなく近い状態の中を生きていた(意欲・興味・関心・集中力の欠落)。そんな生活を送る中で僕は無感情の恐怖(無感情ってよりは極限まで抑圧された形)を知った。

ソレに浸ってみて、無感情に近い形になるよりは、 絶望に悲しみ喘げる方がまだ良い。心からそう感じた(思考が死ぬ。死にたいと思えることすらなくなる。思考力があるうちはまだ幸せ。だって感情に浸れるもんね)。 

・2015年6月11日

 ここ最近、感情が回帰しつつあるように感じる。おかげで思考が出来ることの喜びを感じれた。
無思考・無感情はやはりとてつもなく恐ろしい。他のことなど比べ物にならないほどに。
というのも、全てはその感情・思考というプロセスがあって初めて生まれる。つまり、その全てが無かったのだ(あってもそれは意識的なものではない)。
2年前の精神地獄時はこれほどの地獄を超える地獄などもう二度と経験することはないだろうと思っていたが、それは、そうではなかった。

実家に戻らされて丸2年。ようやく無気力状態から抜け出せつつあるらしい。
・2015年6月18日辺り

メンヘラサイトを利用し他者様との交流を図る。Skypeを通して会話をすることもあった。メールのやり取りは複数人と。しかし、ここから深い繋がりを持つのは不可能と判断、時間の無駄という結論に至る。

・2015年7月16日

何かに対し疑問を抱く能力と、疑問に対する思考が出来るようになる。知識意欲が湧き始めた頃。趣味に対し、純粋な楽しさを見出だせるようになる(通常ならこれがデフォルトなのだろうが、長い間無気力状態だった僕にとっては相当大きい一歩だった。)

・ 2015年10月11日

意図的に視野を広げる行動を取るようになったらしい。それまでの人生では限られた物の中で如何に味わい尽くすかに焦点が当てられていたよう。音楽であれば同曲を1000回以上聴くなど(ただし思考はしていないため歌詞は覚えていない。究極の無駄な生き方)。興味のある方と興味のない方があったら積極的に興味のない方を選択する。数ヶ月前の無気力状態に鑑みると相当回復してる。思考も出来るし、楽しい感情も回帰しているらしい。

・2015年10月16日

4年前よりiPodに日々の記録を綴っていたのが、3年前より思考の記録(無意識的に人生哲学の勉強をしていたらしい)になったらしい。それまでの人生では思考停止を極めたような生き方をしていたために圧倒的に劣っているのではないかと危惧していたのだが、武器が一つだけあって安心したようだ。

・調子が良いとき(外部から知識を得、内在意識と照らし合わせる)で、「1~3日につき平均1~6つ」ほどの新たな知識を得れているらしい。

・この頃より、思考錯誤することが趣味となった様子。

・2015年10月20日

以前に比べ、物事に対する興味・関心・意欲・集中力が徐々に戻ってきている。少なくともここ半年ほどの中で抜群に。安定感も上々。人間本来の形に戻れて来ているらしい。

・2015年10月27日

Twitter開始。

この頃辺りから、無為にゲームに時間を費やすことに対して恐怖を覚えるように。そしてゲームから遠ざかる。

・2015年11月20日

疑問に対する思考に快楽を見出だすようになったとのこと。
・2015年12月8日
『思考するなら行動を。行動の先に思考を生むこと。』が今現在の生き方らしい。

 

*ここから先のことはTwitter上に書いているのでいずれそれをまとめようかな。17/02/17(金)

 

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末期時は思考・行動は岩清水ナツ※下記画像人物そのものだった。そこに加え人間失格の葉蔵の道化が+された感じ。

7SEEDS(1) (フラワーコミックスα)

7SEEDS(1) (フラワーコミックスα)

 

7SEEDS - Wikipedia

人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))

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